(谷中散策その四)
谷中霊園巡りをして、毒婦と言われた「高橋お伝」に興味がわきました。
高橋お伝は、実際には群馬県に埋葬されていて、谷中にあるのは「碑」と言ったほうが正解のようです。
名前だけは知っていましたが、どんな生涯をおくったのか、
何故毒婦といわれたのでしょう。
ちょっと調べてみました。
お伝は14歳で結婚したが二年で離婚。
19歳の時再婚したが、夫はハンセン病で死亡。
後に恋仲になった男と暮らしましたが幸せは長続きせず、
借金返済の為、別の男と情を通じ、強盗殺人を犯します。
そして、投獄されて4年目の明治11年、
恋しい男に会わせてと懇願しながら、その名を叫びながら斬首刑になりました。
花なら盛りの30才でした。
この処刑は、首切りされた日本最後の犯罪者という話も残されています。
お伝の碑の傍らには、当時の報道が掲載された物があります。(写真)
今では珍しくもない犯罪ですが、
明治の初めのその頃には、女が男を殺すのはセンセーショナルな事だったんでしょうね。
でも、驚くべき事はお伝の犯罪よりむしろ処刑後の扱われ方です。
死後解剖され、性欲異常者の標本として陰部をホルマリン漬けにされました。
後に東大病院に保管され、昭和7年にはこの標本を観察して、性欲異常者、毒婦分析の報告を書いた軍医がいるのです。
私には観察報告したその軍医の方が異常に思えますが・・・
第二次世界大戦の後、浅草のデパートで公開展示されたこともあったとか・・・
その企画、変だと思う人いなかったんでしょうか?
信じがたい事が平然と行われたのも、死者の尊厳なんて言葉が皆無の時代だったって事ですね。
お伝が処刑後すぐに、稀に見る毒婦として商業的に出版利用され、演劇化されたことで、真実は捻じ曲げられて伝わっているようです。
歌舞伎、小説、映画でこの世に蘇ることのあるお伝ですが、ほんとのお伝はあの世で何を思っているのでしょうか。
恋しい男のことだけかな・・・